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初めての自己理解

蘇る記憶

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 はじまりは、3歳それとも4歳くらいだろうか、

他の子供たちと何かが違うということ、

年齢に対しての考え方が、価値観が余りにも不自然すぎる…


 子供らしくない子供と年齢に見合った子供らしさを併せ持つ

両極端な #自己の存在 は誰にも言えない隠された自分


 それでも、自分の特異性に対して共感できるものと出会うことが出来た!

#命と引き替えに真理を手にする、そんな選択を強いられる

童話だったように思う。

それは、自分が、決して言葉に出来なかった思考を表現していた。


"この世のすべてを知ることが出来るのならば、自分の命さえ差し出してもいい!!"

 

この言葉は、自分の中に存在して認識出来なかった感情であり、

自分にとっての大切な特性の気づき #探求心 である。


と同時に、すべてを知ることの出来ない事もまた真実。

ならば、…答えの出ない問いの始まり



 ずっと、漠然としていて掴みどころのない感情、想い、

モヤモヤとでもいうのだろうか…

#言葉に出来ない 苦しさ #共有出来ない もどかしさ、

#相談することすら出来ない 


寂しさが、どれほど苦しいものか、不安をもたらすか、心を蝕むものか…


その影響力を初めて知った出来事 #無明 であり、

現在まで続く #価値観 でもある。


 時期を同じく、苦悩から逃れるための術として自らの人生を

終えるという選択肢を考え続け、 #死ねない理由 を導き出した。


 死ねない理由は、自分にとって正しという確信 #納得解 になり、

生きつづけ、前へと進まなければならないという選択肢までが、

納得解 という結論に至る。


 考える必要のないものは、常識として捉え、考える手間を省いて

いいもの、排他として、自分の中に刻まれていった。


 他の子供たちと同じような成長過程を取れていないという自覚が

#自己肯定感 の低さとなり、他者に対して優位性を感じることで、

その人への好奇心、背景や想いに対する関心と理解という

思考の転換を導いた #ふたつ目の思考 


  いまだから分かること…


 さらに、当時の自分の心理的変化を読み解くならば、その童話と

出会うまでは、頭の中、心の中で形を成さないモヤモヤに形を与え、

名前を与え、実体化させることでパズルのピースでも扱うように 

特定の場所へと仕舞う ことが出来たのだろう。


 そして、掴みどころのないモヤモヤがもたらす様々な苦悩は、

安心感や心理的安全性を奪い

  人が生きていく過程に於いて重大な足かせとなってしまうのだ。


 故に、人は言葉を生み、名前を付け、共通認識という概念を創り出し、

更なる心の支えとなるモノの必要性に至ったのだろう。


 安心感がそこにある(認識)、心理的安全性、自分にとっての

真実(納得解)があるからこそ、人生を前向きに歩むための力を

発揮することが出来る、選択肢を見つけ出すことが出来る!!

    そう信じている





 
 
 

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