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人生の遺産

子供の頃に感じた“生きづらさ”を自分の中は勿論、周りの大人たちの中にも感じていました。

と同時に、多くの経験知や現象的理解を基に“体験的理解の重要性”や“ヒトの持つ潜在的可能性”、“答えはその人の中にある”、などが正しいことを直観し、その時から、自分にとっての自分軸となったのです。

この生きづらさや自分軸と自身の特性でもある探求心は、常識や当たり前と云うモノにさえ疑念をもち、独自の視点と観念を育て、対話の機会を得ることが出来なかった事で、より独自の視点や観念を深化させることとなりました。

本来ならば、心理学や哲学、歴史など過去の研究事例や専門書を読み込むことで一般的な概念へと近づき他者との共通認識を得ることが本来の道筋だったのだろうと考えられるが、

自身には、読解力や脳のキャパシティーの問題もあったことが、独自性に拍車をかけていたらしい。

しかし、幾重にもなる困難や苦悩、内的衝動による疼きが自身をコーチングへと導き、内省を繰り返すことで人生を再認識させ、自己理解、自己受容、他者受容、他者理解へと

更なる気付きへと繋げていくこととなる。

ただし、単独での理論構築や長年の左脳酷使による影響は極端な二面性をもって表面化した。

一般的には、絶望的ともいえる状況である、言語、計算、記憶などの処理能力の著しい低下である。

まるで、真綿で首を絞められるようにジワジワト進行してきた症状が数年前に決定的なものとなった。

だが、長年、肯定的人間観をもって探求を繰り返してきた自身にとっては、これほど、興味深い研究材料もないとも言えるのだ

数十年に渡り貯えつづけた仮説や知識、こじつけや柔軟な思考は、今になって答え合わせをしてくれているようだ。

そして、その答えが正しいとするならば、その先には小さな希望の光が存在していることを自分は知っている。

四十年以上に渡り望み続けた大切な希望の光がそこにあるのだろう





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